生き残った人の「手記」といわれる文書

 生き残った人の「手記」といわれる文書

前の投稿「生き残った人の証言」で、最後の質問で大前春義さんに示した文書の〝書き下し文〟を掲載します。
大前さんは「おそらくこういう書体から考えると、この文字は藤沢喜之助さんが書いた感じ」「当て字も入っています。総合的に見て、おそらくこれは喜之助さんが書いたものでしょう」と〝証言〟しています。
自筆の手記で、喜之助さんが実弟の名を「当て字」にすることはあり得ないとも考えられることから、この文書は検察の書記官が書いたものではなかいう考える関係者もいます。

*「手記」は漢字とカタカナのみを使用し改行がありません。〝書き下し文〟では、一部漢字をかなに(「有る→ある」など)、カタカナをひらがなにし、一文ごとに改行しました。この〝書き下し文〟は協力者(故人)のワープロのプリントを書き起こしたもので、変換ミス等はそのままです。元の手記と照らし合わせる機会があれば誤り等を訂正したいと考えています。

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野田を立ちて、福田村三ツ堀の渡場二町位手前で、寺と宮のある鳥居の側で休みて居りたところへ、福田村の駐在巡査が先にたちて後は、青年会・消防・在郷軍人十人位来て寺の鐘をついた。
最初は巡査が、君等は何処をと言うて、持参の品物や鑑札を調べると言うたから、巡査が調べると言うて調べられてそれから大勢の消防や青年が来て荷物を調べた後で、この人は日本人じゃと言う人もあり、また(朝)鮮人じゃと言う人もありて巡査とある人が、それなれば野田の警察署へ照会して見ると照会した。
そのうえ巡査は、これはいよいよ日本人であるから一時野田へ帰してくれと言うた。
それでも青年・消防は、これは(朝)鮮人じゃと言うて警察ごとき者を相手にすることないやってしまえと言うておりたが、中にはこれは日本人じゃわ、野田警察へ手渡しすると買うた人もあり、また、この場で殺してしまえと言う人が多かった。
また、野田へ帰しよりて騙し討ちにしてやらんか言うて所々で相談をしておりた。
それからこの者は、帰らせ帰らさんと言うて巡査・消防・青年はしばらく争うておりた所、■■■■が黒紙の扇子を持ちて居りたら、これは日本人の持つ扇子でない(朝)鮮人か志那人が持つ扇子であると言うて、言うから■■■■は、 これは志那人が販売してたのを冷やかしよりてまけたからこうたと言いました。
それでも聞き入れず、●●●●を捕まえて抵抗をしたんで、●●の頭を棒やとび口を持って頭へぶち込んだ。
それから●●は悲鳴をあげて少し下の松林の中へ逃げ込むと、後から追っ掛けていてTIをくくって上へ上がりでて来た時に面手をやられておった。
それから川連れていくと言うて連れていった。 
そのじぶんに、喜之助もくくられて垣につながれておった。
それから■■と▲▲と二人が、太い縄でくくられて川の方へ連れて行かれよるのを見ました。 
それから少し遅れて、私を川で調べると言うて連れられて行きました。
途中、一町ばかり行くと銃声が二発聞こえました。
それから、私が堤防へ行くとバンザイの声が上がりました。
私が川へ連れられて行くと、はや私の連中の九人の人は 一人もおりません。
それから私は、最初太縄で縛られておりた上、また針金で縛りかけて向こうの人がバンザイを唱えてお前もバンザイを唱えと言うておる所へ、野田村の部長が来てくれまして、 これは日本人であるから殺すことはならんと言うて川の中へほり込んだ者は上げいと、部長様が言いました。
それにもかかわらず荷車に積んでありた荷物を川の中へほり込みました。 
それから私は、 部長に連れられて寺の前来ました時、私は縛られた手が苦しいと郎長様に言うたら、部長様が 他の人に言いつけて解いてやれと言うて解いてくれました。
それから部長様が青年在郷軍人・消防組、皆集めて部長様の申すには、皆様、夜昼寝ずと警戒をしてくれて有難う御座います。
つきましては、この度、この者らを(朝)鮮人と間違って殺したものであろうがあとへ残りた者は、わしが保証に立つからまかしてくれと言うて、ただしこれが(朝)鮮人でありたら、わしをどうでもしてくれと言いましてきっとわしが連れて帰りて証明するからまかしてくれと言いました。
そしたらある一人が、皆様、今部長様が申した通りだが、皆様異上(異論)はありませんかと言うと、またある一人が部長様が保証に立つじゃから部長様にまかしませんかと言うた。
それなら皆の者が、部長様が保証に立ってくれるならまかしませんかと言いましたら、部長様は、それなら二人位連れだっていてくれと言いました。
それから私は、部長様に最初縛られておりた縄でたすきにやらりと縛られて手は針金でやわりと縛られて、福田村駐在所へ連れられて行きました。
福田村駐在所で、部長様が縛られたを解いてその縄を部長様がとりました。



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