冊子『福田村事件・Ⅱ』 その1 「歴史の検証と人権」

 『別冊スティグマ第15号』(2003年3月20日発行)
編集:『別冊スティグマ』編集委員会
発行:社団法人千葉県人権啓発センター

『福田村事件・Ⅱ―80年を経て高まる関心』その1

この冊子の一部書き起こしを数回に分けて掲載します。
まず〝その1〟として、巻頭言と編集後記を掲載します。
巻頭言では、この事件の謝罪する側の千葉県の人権団体として慰霊碑を建立するためのラストスパートを行う時期で、その賛同を得るための冊子であることが理解できるでしょう。編集後記では、慰霊碑建立後を見すえ、加害側の地域に人権を根付かせる考えが記されています。
〝その2〟では、目次にある「福田村事件とは」と「福田村事件関係概略史」を、続いて「現地学習案内」、山田昭次さんの講演録「関東大震災と自警団」を分割して掲載する予定です。

■巻頭言

歴史の検証と人権

市川正廣(社団法人千葉県人権啓発センター歴史調査部会)

 今から八〇年前に起こった「福田村事件」。歴史の中に埋もれていた「福田村事件」の真相解明をし、犠牲になった九名の追悼を事件後の八〇年を節目に行っていきたいとして、事件犠牲者出身の地香川県側と、共同の取り組みを始めて三年目を迎えた。

 この間多くの人々の協力を得て、予想を上回るスピードで取り組みは進展してきた。

 ①真相解明
 ②記録集等冊子の発行
 ③報告会、追悼式等の開催
 ④追悼碑建立基金募集
 ⑤事件現地フィールドワーク案内

などである。

 「福田村事件」に取り組む今日的意味としての第一の課題は、まさに『人権問題』であることである。「福田村事件」が多くの人々の共感を得たのは、『人権問題』そのものへの共感である。部落差別、職業差別、民族差別、さまざまな偏見の凝縮が、複合的に重なって人の命が奪われていった。

 事件当時と社会の状況はもちろん変化している。しかし「福田村事件」を通して見えてきた差別の問題は、今現在の『人権問題』として本質的に解決していない。

 厳しい部落差別の結果として、四国香川県から幼少の子どもまで連れて、苛酷な売薬行商を関東千葉県で行っていた、被差別部落出身の人々のおかれていた差別の内実は現在でも解決していない。「福田村事件」に香川県、千葉県の部落解放運動団体が主体的に取り組むのは、差別の解消すなわち、まさに自らの解放を願ってのことでもある。

 「福田村事件」を学習することは、すぐれて今日の『人権問題』を学習することであるとの認識から、全国各地から事件現地へのフィールドワークに、多くの人々参加されて共感を得ていることからみて、第一の課題はご理解いただけるのでないか。

 第二の課題は、事件犠牲者の追悼を行うことである。追悼をしていく内容は次のように取り組まれる。

一 事件犠牲者の慰霊として『追悼碑』を建立する

 事件後八○年の二〇〇三年を目途に建立の取り組みを継続している。趣旨にご賛同頂き北は北海道、南は九州などから多くの人々より、追悼碑建立基金をお寄せ戴いている。香川県側と、千葉県側の共同事業としての取り組みとして、進捗している状況である。この『追悼碑』は犠牲者を追悼する記念碑と同時に、命の大切さ、差別の解消、人権問題への今後の取り組みを願い、誓いそして発信していくメモリアルとなっていくものであるとの位置付けである。

二 真相解明と歴史の検証

 どのような理由があっても、人の命が奪われていったことへの反省がなければならない。「福田村事件」は、反省のないまま歴史のなかに埋もれてきた。この多くの責任はどこにあるのかについて考えなければならない。特定の個人や団体を暴いて責任追及をするようなことではなくて、事件の起こった背景を明らかにして、人権問題の視点から曖昧にされてきたことを、総括していく作業をしていく。この作業は事件に関して関わりのあるすべてのことになるのは当然であり、いままで犠牲者の追悼、真相解明を行ってこなかった私たち自身への反省と問いかけでもある。

「福田村事件」は今その全容が明らかになろうとしている。私たちは八○年前の事件に心を痛めながら、犠牲者に謝罪の意味も含めて、さらに取り組んでいくことを訴えていきたい。



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