角川書店にもの申す。 ―『四国辺土』の誤り―

 角川書店が2021年11月に発売した『四国辺土(へんど)―幻の草遍路と路地巡礼』(上原善広 著/*1)に事実の誤りがあり、保存会では今年4月に訂正を求めています。誤りは複数ありますが、今回は次の文章と出典資料についての2点だけを指摘します。

◆恩人の名を「記憶違い」としたとの〝誤り〟

上原は256頁に、香川の歴史研究者・石井雍大(ようだい)による聞き取りだとして、事件当時13才だった事件被害者が地元警察の刑事宅で保護された経緯を載せています。

……そのあと一週間、警察で保護されたと記憶がありますが、吉田さんという刑事がおって、私が一番最年少でしたから「うちに同じ年の息子がいるから家へいかんか」と言ってくれました。二晩ほどその刑事さんの家に泊めてもらい、息子さんとも遊びました。「ありがとうございます。でもやっぱり郷里に帰らせてもらいますといって帰ってきました……

この証言を上原は次のように否定する。「この親切な刑事の名が『吉田』というのは記憶違いで、当時二七歳の篠田金助という、松戸署所属の巡査だと後日判明している。篠田巡査は、松戸署管内の朝鮮人虐殺に奔走した人だったと伝えられている」。

証言が正しく、上原の「記憶違い」説が誤りです。誤りのもととなったであろう文章を、同書の参考・引用文献一覧のなかの資料にありました。資料は320頁で『福田村事件の真相 第一~三集』とまとめられてしまったうちの第三集です。この資料は2002年8月31日に香川県で行われた報告会の記録で、主催者挨拶の中にもととなる記述(発言)がありました。主催者当人が誤った情報をつかまされたようです。

2008年4月18日に、この少年の親族が「吉田刑事」の墓参りが実現したことを翌日の「朝日新聞」(ちば首都圏版)は伝えています(写真参照)。


■参考資料の発行元と発行年の〝誤り〟

320頁では、次のように合本のように記載されています。
・千葉福田村事件真相調査会編『福田村事件の真相  第一~第三集』香川人権研究所、二〇〇一年
それぞれの奥付に沿うならば、次のように記載されるべきでしょう。
・千葉福田村事件真相調査会編『福田村事件の真相  第一集』香川人権研究所、二〇〇一年
・千葉福田村事件真相調査会編『福田村事件の真相  第二集』上高野文化センター、二〇〇二年
・千葉福田村事件真相調査会編『福田村事件の真相  第三集』上高野文化センター、二〇〇三年

■次に機会に確認したい「誤り」

247頁で、上原は「事件から六〇年後の一九八三年、(中略)石井雍大に、被害者側の調査依頼がきたのが(再発見の)はじまりだった」と記述しています。これも『福田村事件の真相 第三集』にある石井の講演録を基にしています。石井は1983年に千葉のある団体から連絡をもらった、はじめ石川県の人というふうに土地の人がいうので調べたが該当者がいない、どうも香川県らしいと語っています。香川と加賀を聞き間違えたらしいと解説までしています(47頁)。

1983年9月1日、千葉県における関東大震災と朝鮮人犠牲者追悼・調査実行委員会(以下、実行委員会)が出版した『いわれなく殺された人びと』(青木書店)に、遺族が名乗り出た経過が次のように書かれています。

……「殺されたのは朝鮮人ばかりではありません。日本人も殺されたのです。私のおじさん、おばさん、一緒にいた小さな赤ん坊まで殺されました。その場所を探してください」という電話をいただいたのは、1979年9月1日に『資料集第二集』が「朝日新聞」に報道されて間もなくであった……

実行委員会はこの遺族に報道された資料集を送り、9月19日に会う約束をした。落ちあうと、この事件だろうと推定した福田村についての『関東大震災と治安回顧』(吉河光貞 著/法務府特別審査局/1949年9月)のコピーを見せ、郷里と事件現場が一致することを確認したと書かれています。実行委員会では、100年に合わせた『いわれなく殺された人びと』の新版発行を目指しています。

石井のいう「千葉のある団体」とは、この実行委員会いがいに思いつきません。

上原は『日本の路地を旅する』で第41回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞しています。ライターの角岡伸彦は、上原の『路地の子』に対してブログ「50の手習い」(*2)で作家としてのあり方を批判しています。

*1 『四国辺土』:https://www.kadokawa.co.jp/product/321910000106/

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