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福田村事件80年で追悼集会ひらく

 「解放新聞」2003年9月29日 福田村事件80年で追悼集会ひらく 追悼慰霊碑除幕式も ◆全国の基金もとに 香川県三豊郡の被差別部落出身の薬の行商団一行が、関東大震災直後に朝鮮人が大虐殺されていたなか、千葉県葛飾郡福田村(現・野田市)で自警団に日本人と認識されながらも差別排外意識から殺された「福田村事件」から9月6日で80年になった。同日午後、同市内で、追悼慰霊碑の除幕式と80周年記念追悼集会をひらき、それぞれ170人が参加。犠牲者の冥福を祈り、部落差別撤廃をはじめ、あらゆる差別撤廃へ決意を新たにした。 主催は、事件の真相解明と追悼碑建立運動をすすめてきた「福田村事件を心に刻む会」(千葉)と「千葉福田村事件真相調査会」(香川)とで構成する、それぞれの実行委員会。 部落解放同盟からは、千葉県連、香川県連をはじめ、片岡中執、和田中執、関東ブロック各都県連の代表らが参加した。 除幕式は、同市内の円福寺大利根霊園内で黙祷を捧げ、5人の遺族(西方正明さん、藤澤ヨシエさん、藤澤ハルエさん、大前房子さん、大前廣子さん)と除幕式実行委の濱田毅・会長(福田村事件を心に刻む会代表)、高畠郵司・副会長(千葉福田村事件真相調査会会長)とで、全国からの基金で建立した追悼慰霊碑を除幕。炎天下、参列者一人ひとりが献花し、合掌した。 ◆未来の歴史を問う 除幕式で、遺族を代表してあいさつした西方正明さんは「命を落とした9人の犠牲者、たいへんな苦労をした6人の被害者、15人の冥福をお祈りする。二度とこのようなことが起こってはならない誓いをする追悼でもある」と提起。濱田会長のあいさつにつづき、追悼慰霊碑建立の意味、意義を説明をした実行委事務局の市川正廣さん(福田村事件を心に刻む会事務局長)は「石碑のまえに私たちは何を考え、何をなすべきかを問いつづけたい。80年の過去の歴史を問いつづけることにも、80年先の未来の歴史を問うことにもなるだろう。私たち一人ひとりの生き方考え方が、逆に石碑の方から見られていくのではないだろうか」と語った。 ◆差別の悪相重なり 追悼集会は、霊園のそばのチサンホテル大利根でひらいた。 濱田実行委員長は、「事件の真相解明と追悼碑建立の運動を3年前から、つづけ、さまざまな差別問題がこの事件の原因だとはっきりしてきた」と報告。高畠副実行委員長は、事件の背景に、故郷を遠く離れた関東地方に

‘’誤認説に反対しています‘’

 2022年8月17日、コロナで中断していたフィールドワークが約3年ぶりに再開しました。当日のようすが 千葉日報 に掲載されました。 保存会の市川正廣さんは、当日の参加者に以下の文章を配りました。 ‘’誤認説に反対しています‘’ 福田村事件追悼慰霊碑保存会 「朝鮮人と疑って~」 「朝鮮人と間違って~」 「朝鮮人と誤認して~」 と、いろいろありますが、私たちはこの「誤認説」に反対です。 「誤認説」は犠牲者の追悼にならず、加害者の都合の良い言い訳(方便)と考えます。 犠牲者側は、全く何の理由もなく殺害を受けたわけです。 加害者が裁判などで、この言い訳を強調したのは、罪の軽減を図るためのものでした。 「誤認説」は「朝鮮人」ならば殺していいのかと、なりませんか。 聞き慣れぬ、「讃岐弁説」は、こじつけ理由ではありませんか。 身分証明の、薬行商鑑札(香川県交付)を示し「日本人」であることを訴えました。 が、自警団等は「不審者」として集団暴力・虐殺行為に及びました。大量殺人事件です。一切の弁明は不要です。 香川県の「被差別部落」出身については、背後の何の説明も無しに、この説明は要注意です。 「部落差別」と行商の関連性、事件後に受けた「被差別部落」出身への不当な扱いこそが、問題なのです。 出身地、〇〇郡の説明は、過去は示していましたが、現在は「被差別部落」が特定される懸念があることから示していません。 「部落差別」「民族差別」「職業差別」「よそ者差別」等の「複合差別事件」と考えます。 善良な農民が、なぜこの様な事件を起こしたのか?等と史実確認もせずに思い込み発言なども、最近のべる人もいます。史実とは違う発言者も見受けられます。残念な事です。

千葉日報の記事が無料公開されました。

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千葉日報無料公開記事 2022年8月18日  「言葉が変だ」自警団が幼児や妊婦ら9人殺害…関東大震災後の福田村事件、歴史伝えるフィールドワーク 野田  関東大震災直後に香川県の行商団9人が福田村(現野田市)で殺された「福田村事件」の現場周辺で17日、フィールドワークが開かれた。「福田村事件追悼慰霊碑保存会」の市川正廣会長(78)が神奈川県内の高校社会科教諭15人に同事件のあらましを説明し、現場などを案内した。  同事件は関東大震災から5日後の1923年9月6日、薬の行商のために同村を訪れた行商団が地元住民らの自警団に襲われ、幼児や妊婦を含む9人が竹やりや農具などで殺害された。行商団は被差別部落出身で、自警団は「言葉が変だ」「朝鮮人ではないか」などと罵声を浴びせたという。 市川会長は事件現場や遺体が投げ込まれたとされる利根川などを案内。一行は2003年に建立された追悼慰霊碑前で手を合わせ、犠牲者の冥福を祈った。  市川会長は「負の歴史から目をそらさないことが再発を防ぐ道。インターネットを使ったバッシングなど新たな差別が起きており、事件を知る意義は大きい」と熱弁。川崎市立高校の男性教諭(46)は「過去を直視する気持ちを生徒たちにしっかり伝えていきたい」と話した。 https://www.chibanippo.co.jp/news/local/967025