『柏市史 近代編』 抜粋 その1 震災の発生
『柏市史 近代編』 のp.417〜p.424を3回に分けて掲載します。
その1の「震災の発生」では、簡単に時代背景にふれ土村増尾に住む染谷伝次郎の書き残しを再録しています。その2の「戒厳令の布告」では、前節の時代背景にふたたび触れ、警察や軍の伝令や流言が柏市域に伝わったことを叙述しています。
その3の「福田村・田中村の事件」では、まず柏市域の動きがまとめられ、いわゆる福田村事件も(おそらく)新聞記事などの資料、村の役員の所蔵品(や証言?)から事件の概要と経過までをまとめています。
今回、このように本ブログで市史の書き起こしをWeb上のあげた理由は、①これまで「福田村事件」関連の著作物等で多く触れられているが、そお全文に触れる機会が限られていること。②として、市町村史のデジタル化が進んでおり、『柏市史』も早いデジタル化が望まれること。③として、熊谷市などでは市史編さん等によって集められた資料をまとめた冊子を発行していること、などがその理由です。来年9月の100年を前に、関係自治体などではこれまでの資料を公開し、教育や学習、人権の啓発に役立ててもらいたいからです。
(こんご、このページに関連画像や資料を加える更新を行うことをご承知ください)
『柏市史 近代編』 抜粋 その1
p.417
震災の発生
大正一二年九月一日正午に発生した関東大地震は、東京・横浜という日本の中枢部を壊滅させるという大被害を与えると共に、その被害に動揺した人々の行動が大きな社会問題を引き起こした。大規模な天災が悲惨な人災をも引き起こした。震災は、無秩序に、無防備に、急激に肥大化しつつある近代都市の弱点を白日の下にさらけ出した。第一次世界大戦によるかつてない好景気と大正九年の激しい戦後恐慌という激変する経済社会と、身近においても発生し始めた小作争議や労働争議、社会主義運動の高まりの中で、人々は流動化する社会に不安を覚え、一部の人々は通常では考えられないような行動を取ったのである。市域もその例外ではなかった。
土村増尾に住む染谷伝次郎は、震災後間もない頃、その鮮烈な印象を書き残している。それによって市城の人々が震災をどのよう見、感じたのかをまず見ておこう。
大正十二年九月一日午前十一時頃ヨリ大地震始マリ仝(どう、同の古文字)日風モ有之、見卜東京大火災トナリ、聞ト八十八九ケ所ヨリ大火ト尤もモ家ヲツプシタ為メ火災トナリタル所有之、又朝鮮人ガバクレツ玉ナケハレツシテ人災トナリタルカ 所大(ママ) ク有之トノ事、其時水道ハハレツシ水ニ困難シ消防隊巡査青年団軍人迄集リ大二尽力不尠
大正十二年九月一日ヨリ北総鉄道線路ノ道金敷二津田沼鉄道第二聯隊一中隊増尾区百八十名参り、拙宅飲登場トナリ懸リ役十(ママ)役十名キリ、東京大火災ノ為全部二日午前二時頃ヨリ東京へ引上トナリ
火災リ懸リタル残リ人々難儀喰食衣類ノ不自由食料米ハ玄米ヲタキ食料トス、一日晩カラ二周(ママ)間余玄米ヲ食料又衣類ハ町村ヨリ救助トス、実二東京/有様見ト咄シヨリ気ノ毒ノ至り候(染谷初雄家文書二○二ー三)
土村役場は村行政や村内の主要なできごとを記した「土日誌」を書き継いでいるが、それには震災について次のように記している。
〃六日 戒厳令、此ノ大火災ヲ利用シ社会主義者及不逞鮮人等ハ東京横浜横須賀等ノ大都市へ火ラ付ケ暴行ヲ働キ、為メニ東京神奈川千葉ノ三府県下戒厳令ヲ施カレテ軍隊ニ於テ警戒スルコト、ナレリ(市史編さん室文書四六)
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