『関東大震災・国有鉄道震災日誌』から 常磐線の復旧と罹災民輸送

『関東大震災・国有鉄道震災日誌』から

常磐線の復旧と罹災民輸送

 『関東大震災・国有鉄道震災日誌』(2011年/日本経済評論社)から、常磐線関連の記述を中心に7日分を抜き書きした。
 以前、『柏市史年表』から関連の抜き書きをしたが、常磐線復旧のあしどりがはっきりしなかった。関東大震災後の千葉県内での虐殺は、①東京方面からの罹災民に対して、②千葉県内で働く人に対して、③保護された朝鮮人などに対してに大別できるだろう。福田村事件の被害者は②だが、加害の側は①の中に〝紛れた朝鮮人〟を待ち構えていたのだろうか? それとも、②や③を対象にしていたのだろうか?
 常磐線は1896明治29)年12月25日に日本鉄道海岸線として田端・土浦間が開通した。

1923年 9月1日(土)

(一)国有鉄道損害大要
 一、線 路 東海道本線東京蒲原間、横浜線、横須賀線……常磐線日暮里牛久間……北條線等に大小の被害があった。
 二、通信線 ……その他東北、常磐、総武方面一帯の通信及び電話の回線は悉く被害を被り一斉に不通となった。
 三、列 車 ……常磐線に於て客貨各一個列車……車輛脱線又は顛覆し即死者……。
(二)応急措置
(三)運 転
 総武本線 稲毛亀戸間は一日夜軍隊を以て救援列車を運転した。
(四)工 務
 一、鉄道第一聯隊屯営残留隊の応援の下に総武本線稲毛千葉間線路の復旧工事を始めた。
 一、被害程度軽微の為め本日中に応急工事を完了したものは次の諸区間である。
    常磐線 取手藤代間
     〃  佐貫牛久間
(五)電 気 *「電気」は電話回線などの状況についての記述。
 一、午後一時……同四十分上野我孫子間中継線一回線……を孰れも恢復した。……
(六)工 作
 一、常磐線我孫子柏間で脱線顛覆した貨物第九二二列車は鉄道聯隊の援助によって午後六時恢復した。
(七)病 院
(備 考)九月一日より二日に亘り本省所属主なる建物の類焼時間は左のとおりである。
 九月二日 自午後五時三十分 至午後七時 上野駅、上野運輸事務所、上野保線事務所、上野電力事務所

9月2日(日)

 一、午後七時四十分赤坂離宮に於て親任式挙行せられ山本内閣が成立した。
 一、非常徴発令が公布せされ(勅令第三九六号)、徴発し得べき物件が指定せられた(内務省令号外)。
 一、東京市及び東京府荏原、豊多摩、北豊島、南足立、南葛飾の諸郡に戒厳令が布かれた(勅令第三九八号)。
(一)臨時震災救護事務
(二)応急措置 
 一、不定鮮人暴行に対する流言蜚語が伝はり各所共人心恟々として不安に脅かされてゐる折柄恰も新宿駅には陸軍兵器支廠より関西線津田駅宛の火薬が一部積込まれてあったので右出荷主に交渉し兵員護衛の下にこれを引取らせた。
(三)運 輸
(四)運 転
 常磐線
 一、午前八時第八一〇列車より取手駅以北開通した。
 成田線
 一、我孫子成田間本日開通に付客列車三往復を運転した。
(五)船 舶
(六)工 務
 一、先の区間は本日応急復旧工事を完了した。
   常磐線 金町松戸間
    〃  馬橋北小金間単線
    〃  柏我孫子間
    〃  東信号所土浦間単線
    〃  荒川沖土浦間
(七)電 気
(八)病 院

9月3日(月)

 一、戒厳令の地域を東京府及び神奈川県一円に拡張した。
(一)臨時震災救護事務
(二)応急措置 
(三)運 輸
 一、戒厳令布告に伴ひ(一)公務を有するもの(二)自ら給養の途あるもの(三)震災地域に家族を有し巳むを得ざるものの外震災地域に入込む旅客はこれを制限する旨運輸局長より各鉄道局長に電達した。
 一、震災地発罹災民並に同地域各駅着(行政庁又は公共団体宛のものに限る)糧食及び救護品は航路運賃共無賃輸送の取扱をなす旨大臣より各鉄道局長に電達した。
(四)運 転
 一、水戸運輸事務所は本日より所員十二名、通信雇員五名を以て我孫子駅に派出所を設置し、日暮里荒川沖間の運輸運転に関する指揮指導に当ることとなった。
常磐線
 一、午前零時半利根川橋梁の修理が完了したので上りは第八一四列車、下りは第八一九列車より亀有以北の運転を開始した。
(五)船 舶
(六)工 務
 一、水戸保線事務所線路工手二十七名は、馬橋北小金間、亀有付近及び上野間の復旧応援のため出発。
 一、左記の区間は本日応急復旧工事を完了した。
   常磐線 北千住金町間
    〃  我孫子取手間
(七)電 気
(八)工 作
(九)病 院

9月4日(火)

一、戒厳令の地域を更に千葉、埼玉両県下に拡張した。
(一)臨時震災救護事務
(二)応急措置 
 東京鉄道局
 一、不逞鮮人妄動の噂で人心頗る穏で無かったが、本日近衛第二聯隊第二大隊第六中隊が東京駅に来着し、ここに大隊司令部が置かれることとなったので、一同愁眉を開いて執務をすることが出来るようになった。
(三)運 輸
 一、連帯地方鉄道に対し罹災民無賃輸送の命令伝達方を運輸局長より各鉄道局長宛通牒した。
(四)運 転
常磐線
 一、三河島亀有間開通に付六往復の運転を行った。
 一、柏南千住間は単線運転の処本日より複線運転を始めた。
(五)船 舶
(六)工 務
 一、左記の区間は本日応急復旧工事を完了した。
   常磐線 南千住北千住間
    〃  馬橋北小金間複線
    〃  東信号所土浦間複線
(七)電 気
(八)工 作
(九)経 理
(十)病 院

9月5日(水)

(一)臨時震災救護事務
(二)応急措置 
(三)運 輸
 一、本日より罹災民の無賃輸送は震災地域各駅発東京鉄道局管内着はその儘乗車せしめ東京鉄道局以外後に至るものは左記駅に於て証書を発行して乗車券に代用せしむる様運輸局長から各鉄道局長に電達した。
  常磐線方面は 水戸
(四)運 転
常磐線
 一、日暮里三河島間本日開通に付日暮里土浦間、三河島土浦間に何れも三往復、北千住土浦間に五往復の臨時列車を運転した。
(五)船 舶
(六)工 務
 一、左記の区間は本日応急復旧工事を完了した。
   常磐線 日暮里南千住間
    〃  東信号所土浦間複線
(七)電 気
(八)経 理
(九)病 院

9月6日(木)

(一)臨時震災救護事務
(二)応急措置 
(三)運 輸
(四)運 転
常磐線
 一、当分の中青森上野間急行旅客第八〇一、八〇二列車の運転を休止することとなった。
(五)船 舶
(六)工 務
 一、左記の区間は本日応急復旧工事を完了した。
   常磐線 田端隅田川間
(七)電 気
(八)工 作
(九)病 院

9月7日(金)

 一、治安維持(流言浮説の取締)のためにする罰則が公布せられた(勅令第四〇三号)。
(一)臨時震災救護事務
(二)応急措置 
(三)運 輸
(四)運 転
(五)船 舶
(六)工 務
(七)電 機(ママ)
(八)工 作
(九)病 院

※日付のみ、漢数字を算用数字に書き換えた。



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以下は、『柏市史年表』から関連の抜き書きに他の資料から一部加えたもの。

1923年 9月1日
関東大震災、根戸下・呼塚中間地点で貨車が脱線し東京都の往復途絶、流言飛語流れ人心動揺す。
9月2日
富勢村役場・青年団・在郷軍人会・処女会ら、根戸追分に救護所を設置、東京方面から国道を通過する罹災者を救護。千代田村は柏天王様境内に設置、5日間に120余人を救護、柏駅前にても麦湯を給す。
9月2日、各村消防組・軍人分会・青年団等で自警団を組織す。「鮮人ノ居住セル土・千代田ノ北総鉄道工事ニ警部補・巡査部長・巡査ヲ派遣」(警察沿革史)。
9月3日
常磐線、江戸川・利根川両鉄橋復旧成りこの日開通。
9月3日、根戸消防組員が朝鮮人3人を取り押さえたのに端を発し、「鮮人惨殺我孫子事件」おこる。「柏ニテハ鮮人三〇人以上ヲ生捕シ、我孫子ニテハ三人を切捨テタリ」(花野井・平川新次郎家日記)。
9月4日
千葉・埼玉両県に戒厳令を布く。「昨夜来松戸・流山。八木方面鮮人入リ来リ乱暴ヲナスト言報アリ、人心恟々トシテ各村ヨリ消防組・在郷軍人・青年団等非常警戒ヲナスコトナル」(山高野・山中金蔵家日記)。松戸警察署、流言飛語による軽挙妄動を戒める。富勢尋常小学校、この日から4日間休校とする。土村民、村内の朝鮮人を松戸警察署に護送、受入れ施設不完全のためそのまま帰村する。
「(成田市が刊行した)『成田の地名と歴史』によると、震災後の9月4日、行商人だった朝鮮人2人が成田署に移送される際、当時の滑河駅(同市)で1人が機関車にはねられ死亡。もう1人が群衆に木刀などで殴打されて殺害された」(朝日デジタル)
9月5日
増尾尋常高等小学校、東京大火および鮮人騒ぎのため、この日まで職員が夜警を実施。
9月6日
「田中村と福田村の自警団八人が、香川県の売薬賞を朝鮮人と誤り、小児を含む九人を殺害(田中村事件)。流言蜚語による朝鮮人殺傷事件県下に相次ぎ、我孫子・小金・流山・馬橋・法典・鎌ケ谷等十六ヵ所に起り、朝鮮人六二人が死亡、日本人七〇人が死亡又は傷を受く」(柏市史年表)。
9月6日、土村在住の朝鮮人を習志野俘虜収容所に護送して収容(この頃、北総鉄道建設に朝鮮人多く従事す)。治安維持勅令(流言浮説取締)、暴利取締令下る。


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